今回は、一般社団法人志賀町観光協会の岡本明希(おかもと・あき)さんにお話を伺いました。
取材・構成 荒田詩乃
エメラルドグリーンの美しい海に抱かれたまち
能登半島の西側に位置する石川県羽咋(はくい)郡志賀(しか)町で、一般社団法人志賀町観光協会の事務局長をつとめている岡本明希(おかもと・あき)です。
志賀町観光協会は令和2年に設立されました。令和4年からは観光地域づくり法人(Destination Management Organization、DMO)として、自主事業として増穂浦(ますほがうら)海岸に面したキャンプ場「能登リゾートエリア増穂浦」を運営しながら、志賀町の観光情報を発信しています。

志賀町には、魅力溢れる観光地が沢山あります。奇岩・洞門・断崖が連なり、小説『ゼロの焦点』(著:松本清張)の舞台にもなった息をのむ景勝地「能登金剛」エリアや、増穂浦海岸を一望できて、美しい夕陽に出会える「世界一長いベンチ」。北前船の寄港地であった福浦港は、日本遺産に登録されており、昔の遊郭建築や日本最古の木造建築「福浦灯台」も遺されています。

さらに「能登リゾートエリア増穂浦」は、海岸線一帯に珍しい貝が打ち寄せられる海岸で、600種類もの貝殻が拾えて、11月〜3月には美しい桜貝にも出会えます。おすすめは、夏から秋にかけての季節。海の色が透明度を増して、エメラルドグリーンで、夕陽も月明かりが海に照らされた様子も、とても素敵です。遠浅の海なので、安心してお子様も遊べるし、SUP、オフロードセグウェイ、タイヤが8輪ついた8バギーなど、ここでしか楽しめないアクティビティで、自然を思いっきり満喫できます。

家屋全壊、3ヶ月断水など、当たり前の生活が失われてしまった
令和6年度能登半島地震では、志賀町も大きな被害を受けました。私自身も、被害を受けた被災者です。地震が起きたときは、家族でお正月の宴会準備をしていました。朝から初詣を終えて「こんなに穏やかなお正月はめったにないよね」と話していたとき、地震を知らせるアラートが鳴ったんです。
一度目は震度4で、震源地は珠洲。前年から珠洲で地震が何度も起きていたので「また珠洲で地震か」と思ったんです。その時は甚大な被害に至るような地震になるなんて、考えていませんでした。二度目の地震が起きたとき、虫の知らせというか、嫌な予感がして、帰省してきていた子どもたちと一緒に机の下に隠れました。

最初はひどくなかったんですが、そのうちものすごい揺れになりました。子供たちと手をつないで、机にしがみつきながら、叫んでいました。お鍋がひっくり返って、冷蔵庫の扉が開いて。思い出すと鳥肌がたつほど、家が引きずられそうな勢いの揺れでした。

家屋全壊になってしまい、避難所に避難しました。3か月間断水していたので、井戸水をペットボトルにくんでお手洗いをしたり、親戚に洗濯機を借りて過ごしていました。今日何をしたらいいのか、どこで寝ようとか、毎日そんなことばかり考えていました。家がなくなって、当たり前の毎日が送れなくなるのは、こんなにつらいのだと思いました。
能登リゾートエリア増穂浦も、1メートルほどの津波があったのですが、海岸線は岩盤であるため、幸いなことにほとんど被害がありませんでした。3か月後に水道が復旧して営業を再開でき、復旧作業の作業員の方とか、自治体ボランティアの方に宿泊施設として利用していただきました。

地震の記憶を語り継ぐことで、魅力的な人や場所を発信する
2025年の春から、志賀町観光協会として、地域の人にスマホで撮影した震災当時の写真を見せてもらいながら、震災の記憶や未来への想いを聞かせていただくコラム『復興物語~スマホの記録~』の発信をはじめました。

震災から1年半が経ち、被害がひどかった志賀町北部の富来(とぎ)地域の飲食店も「富来復興商店街」としてオープンするなど、少しずつ地域の事業者さんも再開してきた、タイミングで、志賀町の魅力の発信に力を入れることに決めたのです。
『復興物語~スマホの記録~』で大切にしたのは、震災の記録を語り継ぐことで、観光に繋げること。綺麗な場所や観光地は全国にたくさんある。でも、志賀の地域の人たちはここにしかいない。震災の記憶を語り継ぐことで、志賀町の魅力的な人や想いを発信して、復興・観光に繋げるコンテンツを考えました。
地域の方を取材していると、いろいろな発見があります。被災状況は、その人にしかわからないということ。被害の大きさも、家屋の全壊や半壊など、同じ町でも異なる状況で、地震の被害に対して温度差があるんです。ひとりひとりのお話をじっくり聞くことで、こんな人だったんだな、そんな想いをしていたのだと、地域の人との絆が深まりました。
目指したいのは「この人に会いたい!」と繫がりから生まれるまちづくり
志賀町は魅力的で可能性があるのですが、まだまだ情報発信は追いついていない。震災後、いろいろな場所に出向くたびに「志賀町ってどこにあるの?」と聞かれてしまうことがあります。
私は、この街は、「人が復興する街」になってほしいと思っています。『復興物語~スマホの記録~』を通して、地域に暮らしている一人ひとりが、この地震で経験したこと、感じていること、志賀の魅力を伝えていく語り部になれればいいと思うんです。

そういった方が増えることによって、「この人に会いたい!」と他の地域から人がやって来る。そういう復興としての観光が増えたらいいと信じています。
取り組みが実るのが、何年先になるかはわからない。小さなつながりでも一人ひとりが何かできたとしたら、100人いたら100の変化が生まれる。私は、そういう一人からはじまる地域づくりを信じていきたいんです。
つながりを増やしていくことで、強い絆が地域に生まれていく。可能性を信じて、これからも頑張っていきたいと思います。
「今行ける能登の旅」志賀町にお越しください
『復興物語~スマホの記録~』は、地域の方の復興の記録を発信し続けています。記憶を風化させないため、震災の地域の人の声に触れていただければと思います。
復興物語 | 能登・志賀町観光協会|今行ける能登の旅へ
https://shika-guide.jp/category/fukkostory/
【志賀町に、ぜひ遊びにいらしてください】
奥能登観光の入り口でもある志賀町は、金沢から車で約1時間半と恵まれたアクセスで、魅力的な文化資源や観光資源が沢山あるんですよ。
毎年8月の第4土曜・日曜に開催される約30基のキリコが浜を練り歩く「冨木八朔祭礼」や、能登は各地で太鼓が盛んですが、志賀町にも「志賀太鼓」があります。
志賀町観光協会でも、さまざまなイベントを開催していきます。また、2拠点居住やワーケーションなどの取り組みにも積極的に取り組んでいく予定です。最新情報は、志賀町観光協会Webサイト(https://shika-guide.jp/)をご覧ください。
取材後記
能登は、場所によって青が変化する色とりどりの海を持っています。志賀町の海岸は、白い砂浜にエメラルドグリーンの海。その海岸の美しさにとても驚きました。
志賀町観光協会は今後、2拠点居住やワーケーションなどの取り組みも進めていかれるのだそう。美しい海を見ながら仕事ができたらきっと気持ちが良いだろうなあ。
「復興は一人ひとりのつながりから」と話してくださった岡本さん。強く優しいまなざしがとても素敵でした。お話を聞きながら「岡本さんに会いに、きっとかならず志賀町に来よう」と、心のなかで誓いました。

