今回は、奥能登・珠洲の最北端である狼煙(のろし)町に2025年7月にオープンした「狼煙のみんなの家」を運営するNPO法人奥能登日置らい(おくのとひきらい)代表の糸矢敏夫(いとや・としお)さんにお話しを伺いました。
震災で、地域の約半分の家屋が失われてしまった
珠洲市狼煙(のろし)町で「狼煙のみんなの家」を運営する「NPO法人奥能登日置らい」代表の糸矢敏夫(いとや・としお)です。珠洲市・狼煙地域の区長や、珠洲市特定地域づくり事業協同組合の事務局長も務めています。
「みんなの家」は、被災地で人々の憩いの場を作るプロジェクト。2011年の東日本大震災をきっかけにスタートして、東北で16棟、熊本では地震や水害の被災地で130棟以上が建設されています。
「狼煙のみんなの家」は、奥能登・珠洲市の最北端である狼煙町に、2025年7月にオープンしました。

震災の日は正月で、地区の集会所に集まっていました。2023年5月に震度6強の地震で集会所の壁が崩れ落ちて、1年間かけて直したばかり。「きれいになってよかったね」と新年会をしていた最中に1度目の地震が起きました。家族もいるし、一度家へ戻ろうと表に出た瞬間に、凄まじい揺れが来ました。2023年の地震以降、次に大きい地震が起きたら「津波が来る」と言われていたので、「これは危ない」と高台へ逃げることにしたんです。

珠洲市の中心部に向かう2つの道がふさがり、約3日間、電気・水道・通信が遮断された孤立状態になってしまいました。集会所に石油ストーブや水を持ち寄り、正月だから幸いなことに食べ物もいっぱいあってね。他の地域は「駐車場にSOSと書いた」と聞いたけど、うちは「まあ、なんとかなるやろう」という感じでした。

集会所には、50人ほどが避難していました。高齢者も多く、認知症の方もいらっしゃって、介助も大変でした。電気が復旧したのが、1月12日。STARLINKが届いて、インターネット回線が使えるようになったのが、1月17日。1月21日には、NHKがBSアンテナとTVを設置されて、テレビが見れるようになりました。水道は、2月28日に復旧しました。市内中心部に比べると、それでも早い方だったようです。

狼煙地区では、50世帯中20世帯ぐらいの家屋が全半壊になり、空き家も含めると、5割ほどの家が失われてしまいました。幸いなことに人的被害はなかった。そこは本当によかったと思っています。
お酒を飲み、語らう時間から生まれた「のろし復興会議」
避難生活はできることがほとんどなくて、時間を持て余してしまうんです。みんな酒を飲むのが好きなので、集まって飲んでいたんです。電気が来るようになったはじめての土曜日の夕食後に、酒を飲む前に1時間だけ復興について話し合う時間「のろし復興会議」をはじめることにしました。

2024年3月末の区総会で、正式に月1回第2土曜に「のろし復興会議」を開催することを決めて、4月からスタート。アイデアを出したり、仮設住宅が町内にできるタイミングで東北の復興事例から学ぶオンラインの学習会に参加したり、地域の空き家をシェアハウスにする提案をしたり、さまざまなことを1年間行ってきました。
「のろし復興会議」で相談した内容を届ける「のろし復興かわら版」も配布しました。かわら版のおかげで、会議には出てこれない方や、避難して狼煙にいない方でも、情報を知ることができて、いつでも地域に戻って来れる。作成を担ってくれたのは、2019年に地域おこし協力隊(移住担当)として珠洲に来て、現在特定地域づくり事業協同組合で事務局員として働いてくれている馬場千遥さん。住民として、地域のために何かできないかと立ち上がってくれました。

ふらっとみんなが立ち寄れる、まるで居酒屋のような場所へ
復興会議を重ねた2024年5月、みんなの家プロジェクトを手掛けているNPO法人HOME-FOR-ALLの事務局からご連絡がありました。「みんなの家を能登に作りませんか」と提案をくださったんです。お話を聞いて、即断で「お願いします」と伝えました。
ちょうど地域の人たちが集う場が必要だと思っていたところでした。狼煙町の集会所は半壊で、子どもの遊び場でもあった神社のお仮屋も崩れて解体しなくてはならない状況。さらに、祭りのキリコも倉庫ごと地震で潰れていました。住民が集まる場や機会がことごとく壊されてしまったんです。

さっそく「のろし復興会議」でアイデアを出し、設計を担当してくれたデザイン事務所クライン ダイサム アーキテクツと話し合いながらまとめていきました。建築費が高騰して入札価格を超えてしまったり、予想していた以上に大変なことがありましたが、さまざまな方の協力を経て、約1年後の2025年7月に「狼煙のみんなの家」は完成しました。

大事にしたのは、“みんなの居酒屋”。酒があるとみんなが集まる。宴会ができるように、ビールサーバーやスチームコンベクションオーブンも導入しました。ふらっと立ち寄りやすいように、場所は仮設住宅の隣。敷地内には、毎年花見をしてきた桜の木もある。建物の中から桜が眺められて、すぐに外に出られるように縁側も設計されています。

避難生活で苦労したことから、防災拠点としての機能にも力を入れています。太陽光発電や、災害時でもつながる低軌道衛星を用いたインターネット回線STARLINKも導入しました。今後は、井戸水の浄水機能なども今後取り入れていく予定です。
地域の人が集い、話し合うことのできる場へ

まだ復興には程遠い。止まっていることが沢山あります。壊れてしまった家屋の修理や再建が間に合わず、順番を待つ人たちでいっぱいです。仮設住宅のみんなが自宅に戻れれば、それでやっとゼロぐらいの状態です。そこまでは頑張らんといかんのかなと思うんです。

インフラの整備もこれからです。港や農地も直していく必要があるし、生活するための学校・病院・介護施設・保育所が整備されないと、若い人が地域を出て行ってしまって、地域がどんどん元気を失ってしまう。
「狼煙のみんなの家」は、地域の人が気軽に集まれるように、子どもの学びと遊び、相談会や交流ワークショップの開催、みんなの食堂などさまざまな事業を展開します。でも、一番大きな事業は、青年団による月1回程度の居酒屋ですね。酒を囲み、これからについて語り合う場を作っていきたい。

この地域は、人が集まらないと物事が決められないんです。独断で決めても誰も納得してくれん。みんなで話して決める環境と習慣が大切です。「狼煙のみんなの家」が地域のみなさんの集う場になることを願い、運営を続けていきます。
奥能登・狼煙の地域づくりに携わりませんか?

復興には若い力が必要です。狼煙にはなかなか若い人がおらんのです。私は馬場さんに手伝ってもらってるからさまざまなことを進めることができます。でもNPOの事業もあり、狼煙のみんなの家も立ち上げたため、なかなか余裕がないのが現状です。
他の事業所さんや地域の区長さんとも、お手伝いをしてくれる人が必要だと話しています。地域の人と関わり、お酒を酌み交わして、地域づくりを一緒に担ってくれる方が必要です。
珠洲市の「地域おこし協力隊」や「まちづくり支援員」など、これまでの経験を生かしたさまざまな働き方があります。関心を持ってくださった方は、お気軽にご連絡をいただけるとありがたいです。
取材後記

「狼煙のみんなの家」のすぐそばにある禄剛埼(ろっこうざき)灯台は、奥能登の最先端で、夕日も朝日も眺められる人気の観光スポット。「灯台まで登る途中で下を眺めると、黒瓦の屋根が光って美しい」と糸矢さんが教えてくださった夕景を見に、取材後に階段を登り灯台を目指しました。
「震災を機に、能登伝統の黒瓦の家屋が失われていることにも危機感を覚えている」とも話してくださった糸矢さん。美しい景色と素晴らしい文化を残していくために、私は何ができるのだろうと、あらためて感じる取材となりました。

