今回は、輪島市でエステサロン「*Crea*」を営む、エステティシャンの三辻佳緒里(みつじ・かおり)さんにお話を伺いました。
移住から2年目、震災が変えた人生

2024年1月1日。あの揺れは、私、三辻佳緒里(みつじ・かおり)の人生を根底から変える出来事でした。
京都から夫の実家である輪島に移住して、まだ2年。夫と子どもたちと共に、それまで築いてきた穏やかな暮らしが、一瞬で崩れ去ったのです。
私たちは避難所を転々としました。その中で、私と同じく小さな子どもを抱えるお母さんと親しくなりました。赤ちゃんを抱きながら上の子たちの手を引き、人目をはばからず授乳し、疲れ切った笑顔で子どもたちを励ますその姿に、私は深く胸を打たれました。
その後、私たち家族はしばらくのあいだ京都へ、そのお母さんと赤ちゃんは金沢へと避難。以降も、彼女が大変な思いをしていると聞き、心が痛みました。

私自身も、震災直後はメンタル・フィジカル共に極限状態でした。しかし、現地で化粧品メーカーがボランティアでセラピーをしていることを知ったとき、ある思いが芽生えました。私は元々関西でエステの学校を出ており、10年以上のキャリアがあります。この経験が、もしかしたら誰かの力になれるのではないか。何ができるか具体的な形は見えなくても、私にもできることがあるはずだ、という気持ちを強く抱いたのです。
「戻ったら、輪島の皆さんの力になりたい」
母として、震災という同じ痛みを知る者として、心身共に寄り添える活動をしていきたい。その決意を胸に、輪島に戻って迷わず自宅の一室をサロンにしました。


もともとは子ども部屋にする予定だった場所を活用し、余震に備えてドアを2つ設け、アレルギーのあるわが子の経験も生かして、安心して過ごせるキッズスペースも整えました。誰もが心穏やかに過ごせるよう、できる限りの配慮を尽くしました。

何にも縛られず「心を解き放つ」小さな部屋

キラキラと輝く明るい窓辺。漢方オイルの香り。優しい花の色──。
これらのすべては、この場所を「異空間」にするためでした。一歩外に出れば、まだ被災の痕があちこちに残る厳しい現実がある。日常は、過酷な状況のなかにあります。だからこそ、ここにいるあいだだけでも、心からホッと安らいでほしいのです。

窓から差し込む虹色の光には、私なりの特別な想いを込めました。震災のショックで能登の海を見に行けなくなってしまった方々にも、ほんの少しでも海の心地よさを感じて、心穏やかになってもらえたら……そんな気持ちで演出しました。海の中に潜って見上げた時に、こんな風に見えるんだろうなと想像しながら再現したのです。
「この部屋だけは、心の重荷を下ろせる場所」
そう思ってもらえるように。疲弊した心が、ここでそっと解き放たれるように。私は、この空間の隅々に願いを込めています。

輪島に沈む“言葉にならない疲れ”を受け止める手

サロンには、30代から60代までの幅広い年代の女性が多くいらっしゃいます。私の施術は、すべてオールハンドです。機械では届かない、手から伝わる心、手にしか伝えられない温もりがあるからです。

皆さんが口をそろえて言うのが「震災後に眠れなくなってしまった」ということ。浅い眠り、歯ぎしり、夜中に何度も目が覚める。なかには、歯を食いしばりすぎて歯が欠けてしまった方もいらっしゃいました。傾いた家で暮らす方の足を触ると、片足だけが異常にむくみ、ボールのように硬直している。関西で施術していた頃には感じなかった、深く重い疲労が、この輪島には確かにあります。

お客様は最初、震災のことや日々の辛さを語りながら、ここで静かに涙を流されることも多かったです。けれど、涙を流し、言葉を吐き出すことで、心は少しずつ軽くなり、ほんの少しずつ笑顔が戻ってくる。

「体が軽くなった」
「久しぶりに朝まで眠れた」
そんな声をいただくたびに、この場所が必要とされていることを実感します。サロンの予約がすぐ埋まるのは、ありがたいことです。でも同時に、それだけ多くの人が、極限の状況のなかで生きているという証でもあります。
子どもたちにも、心の居場所と未来への希望を

私は、エステティシャンとして、日々、目の前の女性たちのケアに全力を尽くしています。地域の住民たちも、皆、復興に向けて並々ならぬ努力をしています。
しかし、震災から2年目に入り、私たち被災者もそれまで張り詰めていた緊張の糸が切れ、溜まっていた緊張感や疲れが溢れ出し、動けなくなるようなことが増えてきているのです。
大人すら自分たちのことだけでも精一杯で、子どもたちのこれからがとても心配になっています。
統合された学校、変わった先生、変わった友達、遊べなくなった公園──その小さな変化ひとつひとつが、子どもたちの心を静かに傷つけています。私の子どもたちも同じです。まだ3歳の息子は、いまも「地震が来たらどうするの?避難するの?」と不安がり、5才の娘は「口に出すと本当に起きてしまうからやめて!」と嫌がります。
小さな心は、大人以上に震えながら日常を生きているのです。
以前はあった、子どもたちが「楽しい」と感じられる場所が、本当に少なくなりました。公園も遊び場も、お祭りの花火も、復活するのはまだ先になることでしょう。
だからこそ、これを読んでくださっている皆さんにお願いしたいのです。
歌手やパフォーマーなどのアーティストの方、イベントの企画者の方、輪島の子どもたちに「記憶に残る体験」を届けてもらいたいです。
例えば、みんなでつくる音楽会、一緒に描く絵、体を動かすダンスなど、「心が動くこと」「みんなで体験すること」を、ぜひ輪島の子どもたちにも体験させてほしいのです。
その感動が、きっと子どもたちにとって未来を生き抜く力になる。私は、そう信じています。
取材後記
被災した小さな街で、表には出せずに、心のなかにヒタヒタと溜まる「声なき声」。まさにサイレントマジョリティが抱える心の澱を受け止め、その「手」で流すお仕事をされている三辻さんの強さに胸を打たれ、ぐっと涙をこらえながらのインタビューとなりました。
今、彼女が望んでいるのは、子どもたちのための「居場所」や「思い出」。
輪島の子どもたちが、心から笑い、思い出として残る体験が必要とされています。
私たちにもできることが、きっとあるはずです。

