今回は、輪島市河井町でイタリア料理店を営む、村井宏治(むらい・こうじ)さんにお話を伺いました。
故郷を離れ、山海の幸に恵まれた輪島へ

私、村井宏治(むらい・こうじ)は広島県廿日市市出身で、関西での料理修行を経て、イタリアへと渡り、本場の味を学びました。帰国して輪島に来る前までは広島に店を構えていましたが、ある時、この輪島の地に運命的に導かれました。そのきっかけは他でもない、この土地の「食材の力」に心を奪われたことです。
広島で店を営んでいたころ、能登を訪れる機会がありました。そこで冬の海藻「カジメ」を口にした瞬間、イタリアで働いていたときに感じた海の香りが、言葉にならないほどストレートに伝わってきたのです。太平洋側ではなかなか出逢えなかった、素材そのものが持つ力強い味わいに、私は深い感動を覚えました。
「ここなら、日本でしか生み出せないイタリア料理ができる」
そう確信した私は、輪島への移住を決意し、2012年にイタリア料理店「AIUTO!」(アユート)を移転オープンしました。

イタリア料理は基本的にシンプルな調理法で、塩と胡椒、レモン、オリーブオイルを使い、素材の美味しさを引き出しますが、能登にはイタリア料理によく合う食材が豊富にあります。

季節ごとに表情を変える能登の食材は、私たち料理人の創造力をかきたててくれます。春に息吹をあげる山菜、貝やフグ。夏にはみずみずしいナスやキュウリ、岩牡蠣。秋は香り豊かなキノコ、能登牛、能登豚。そして冬は寒ブリ、カニ、真牡蠣。初冬に「ブリ起こし」と呼ばれる激しい雷が鳴り響けば、ブリのシーズンが来るサイン。獲れたてのブリをカルパッチョにすると格別ですよ。
輪島の人々の「小さな暮らし」

もう一つ、この街に強く惹かれたところは、輪島の人々の「小さな暮らしぶり」です。その辺のおばちゃんが持ってきてくれる野菜たち。顔見知りの漁師さんが釣ってきた新鮮な魚。器の作家さんもみんな知り合いで、そのすべてがすぐ近くにある。携わる人の顔が、はっきりと見えるのです。すべてが地元で完結するというこの温かい関係性は、私が修行したイタリアの村社会と驚くほど似ていました。一つひとつは特別なことではないかもしれません。しかし、その何でもないような、慎ましくも豊かな暮らしぶりが、私には何よりも魅力的に映ったのです。
あの日から営業再開まで。私たちを奮い立たせた、生産者たちのプライド

2024年1月1日。能登半島地震に見舞われ、幸いにも店の建物に大きなダメージはありませんでしたが、変わり果てた街の景色に私は言葉を失いました。
被災直後は、コロナ禍でも販売していた冷凍パスタソースを多くのお客様が買ってくださり、その温かいご支援のおかげで、私たちは何とか日々を乗り切ることができました。

それから半年が過ぎ、皆さんが仮設住宅に入って水道も少しずつ復旧しはじめたころ、私たちも店の営業を再開しました。ご来店くださったお客様の8割は地元の方々でした。中には、悲しい出来事を語り、涙を流され、そして「無事でよかったね」と、私たちにも声をかけてくださる方もいらっしゃいました。その温かい言葉ひとつひとつが、どれほど胸に染みたことか。
再開当初は仕入れに大苦戦していました。輪島をはじめとした能登半島西側の「外浦」と呼ばれる地区の漁港は、地殻の隆起などで被害が大きく、手に入る魚が限られてしまうため、富山湾に面した能登半島東側の能登町や七尾市の漁師さんから送っていただくこともありました。
しかし、そんななかでも、輪島の漁師さんたちの絶え間ない努力を日々、肌で感じていたのです。

毎年春になると、農協の直売所には鵜入の海苔が並びます。しかし、今回の地震で鵜入町も大きな被害を受けており、道路が崩落するなど、漁ができるような状況ではなかったはず──にも関わらず、震災後の春、例年と変わらず鵜入の海苔が店頭に並んでいたのです。それを見たとき、私は漁師さんの計り知れない「意地」を感じました。
この大変な状況下でも、生産者さんが届けてくれる食材。だからこそ、私も「意地でも」と買わずにはいられない。それが、この土地の生産者さんへの感謝であり、料理人としての使命だと思っています。あの時、生産者の皆さんが踏ん張ってくれたからこそ、私も前を向くことができたのです。
日常を取り戻す「居場所」でありたい

伝統工芸の漆器に象徴されるように、輪島にはものづくりの文化が根付いています。ものを大切にし、丁寧に日々を送る人々が暮らす「職人の街」です。そんな人たちが積み上げてきた丁寧な暮らしぶりが、あの日、一瞬にして壊されてしまいました。いま、彼らにどれほどの重圧がのしかかっているか、想像に難くありません。
現在の輪島の暮らしは、震災前とは程遠いものです。震災から1年半たった2025年7月現在も、多くの人々が仮設住宅に身を寄せています。この土地に住み、生きていこうとする人々の毎日は、外で暮らす皆さんが想像するよりもはるかに過酷なものです。

今すぐに元通りの日常が戻ることは、おそらく叶わないでしょう。しかし、それでもこの地で生きるという希望を持つ人たちが、安心して心の内を語り、束の間の安らぎを見つけられる場所でありたい。私は、「変わらない笑顔で、お客様をお迎えしよう」と心に決めました。日常を失われた人々にとっての「居場所」となること。それが、料理人である私なりの、この輪島で生きる意味なのだと信じています。
輪島を愛するすべての人へ、届けたい「おかえり」の一皿

店名の「AIUTO!」は私が大好きな映画で耳に残った台詞で、イタリア語で「助けて!」という意味ですが、ニュアンス的には「黒子」だったり、誰かの「手助け」「お手伝い」をするということを指します。私の店が、誰かの心に寄り添い、ほんの少しでも力になれる場所でありたいと願っています。
地元のご年配の方が店にいらっしゃると「私の料理が通用するだろうか」と今でも緊張します。私よりも何十年も長くこの地で生活され、土地の食を熟知されている方々のためにも、食材と真摯に向き合い、最高の状態で提供したいと思うのです。
また、地元の人々が「輪島の美味しい魚を食べさせてあげたい」と、帰省した親戚や友人を連れてきてくださることも少なくありません。そういった瞬間に、この店が輪島の人々の日常の一コマになり「おかえり」の一皿を提供していることを実感し、大きな喜びを感じます。

この店が、輪島の人々の心の拠り所になり、訪れた方たちにも輪島の豊かな食文化と温かい人々の心を伝え続ける。それが、料理人である私が、輪島という土地でできる一番のことだと信じています。
この記事を読んでくださった皆さんにも、ぜひ一度輪島へ足を運んでいただきたい。
輪島にはまだ、再開している宿泊施設が少なく、市外からのお客様が戻りきっていなかったりと、解決すべき課題は山積しています。
しかし、朝市をはじめ、街全体が少しずつ活気を取り戻しつつあります。その賑わいのなかで、この地を訪れるお客様に「輪島っていいな」と感じてもらえるような料理を提供し続けること。それが、私がこの店を開いた日から、そして震災を経ても変わらない、揺るぎない目標です。
移住者たちが口を揃えて「とにかく魚が美味い」と語るように、この地の豊かな海の幸は格別です。山も海もすぐそばにあり、自然のなかで心ゆくまで遊ぶことができる最高の環境が、ここ輪島にはあります。
復興までの道のりはまだ長いですが、私たちが一皿一皿に込める想い、そして輪島の人々が紡ぐ日常の温かさを、ぜひ肌で感じてみてください。
取材後記
輪島が誇る、かけがえのない「心の灯り」
初めて村井シェフにお会いしたとき、その優しい眼差しと、丁寧に言葉を選ぶお話ぶりから、輪島で暮らす人々と、食材への深い愛情を感じました。震災という筆舌に尽くしがたい困難を乗り越え、いち早く店を再開されたその背景には、地域への揺るぎない想いがあるのだと思います。
「このお店は輪島の宝物なのです!」
地元の方がそう語っていたのが、今でも私の耳に深く残っています。日常が失われたいま「AIUTO!」は、美味しい料理を提供するだけではなく、人々が心を休め、語り合い、笑顔を取り戻す、まさに「かけがえのない心の居場所」となっています。
村井シェフに作っていただいたお料理は本当にどれも絶品でした。輪島をあとにし原稿を書いているいまも、美味しい記憶が口の中に蘇ります。また、必ず行きますね!

