輪島で創業70年を越える、能登で一番古くからある老舗包装資材屋“三辻商店”の三代目、三辻洸二郎(みつじ・こうじろう)さんにお話を聞きました。
家業を継ぐ決意と、輪島への想い
僕、三辻洸二郎(みつじ・こうじろう)が代表を務める“三辻商店”は、創業70年を越える、能登で一番古くからある老舗包装資材屋です。
能登の飲食店や海産加工場を主要なお客様としていて、干物などの海産物を包むパックや発泡スチロール・段ボールなどの、営業する上でなくてはならない商品を提供しています。
決して目立つことはないですが、能登を支える「縁の下の力持ち」だと自負しています。
僕が家業を継ぐために輪島に帰ってきたのは、震災の前年、2023年4月のことです。大学を卒業してから8年間、京都や大阪で包装資材関連の会社に勤め、営業職をしていました。
正直、高校生のころは、両親の姿を見て「この仕事大変だな」と思っていましたね。ただ、小さいころから可愛がってくれた祖父母が創業した事業を、僕が継がないのはきっと寂しがるだろうと思ったので、「僕が継ぐ」という強い想いがありました。
それに、輪島市を含む能登全体は人口減少が止まらない状況です。だからこそ、僕のような世代が一人でも多く帰ってくることが、地元である輪島にとって意味のあることだと信じていました。
元日に襲った未曾有の地震
輪島市に帰ってきてから、「よし、これからやるぞ!」と意気込んでいた矢先、2024年1月1日、能登半島地震が起きました。
あの日、僕の実家には家族や親戚が集まり、総勢13人で新年を迎えていました。午後4時10分前に震度5弱の揺れがきて、「いつものやつか」なんて言いながら念のため外へ出たんです。でもその直後、今まで経験したことがないほどの揺れが僕たちを襲いました。ついさっき挨拶を交わした目の前の家が音を立てて崩れ、「大津波が来るぞ!」という声が飛び交うなか、慌てて高台へ避難しました。
道路は大渋滞。子供たちは泣き叫び、終始パニックで、自分も震える手でハンドルを握っていました。

「必要とされている」──混乱の中で感じた希望
僕たち三辻商店の被害は、倉庫7棟のうち、4棟が全壊、2棟が半壊しました。それでも、「町全体みんなで頑張ろう」という気持ちがありました。
物資が届かないなかで、
「炊き出しするから、容器をくれ!」
「割り箸ちょうだい!」
など、直接町の人が倉庫に足を運んできてくださったり、必要とされていることをとても実感しました。必要とされていることは、とても嬉しかったですし、その瞬間は辛いことも忘れることができました。

心が折れそうになった水害と、妻の言葉
ただ、本当に心が折れかけたのは、その半年後にあった豪雨でした。生き残ったすべての倉庫が浸水してしまい、商品は泥だらけ、車も3台ダメになりました。

「神様、そこまでやるか?」って、本気で思いました。
しかし、絶望の淵から僕を救ってくれたのは、奥さんの言葉でした。「くよくよしてても、水害のなかったころに戻れるわけじゃないんやから、あとはどう復活するかやろう」そう言って、背中を押してくれました。

出会いが広げてくれた未来の可能性
また、災害があったからこそ繋がった出会いも、たくさんありました。ありがたいことに、被災の記事を見て金沢の会社の社長さんが声をかけてくださり、サポートをいただきました。
さらに、県内に留まらず、県外のお客様にも商品をご購入いただき、金沢に進出する機会も得ることができました。
命のある限り諦めず、輪島市、そして三辻商店をもっと成長させたい、心からそう思っています。

三辻商店という“縁の下の力持ち”
三辻商店は、さまざまな事業者の“縁の下の力持ち”として動いていますが、実際は皆さんに支えられてばかりです。
高校生のときの自分に伝えたいです。──この仕事は、本当にやりがいがある。
お客様に寄り添いながら、「どうしたらお客様の売上が伸びるのか」だけを考えて、日々アイデアを提案しています。
そして何より、お客様の笑顔を間近で見られること。これは、ネットやデジタルでは得られない、かけがえのない喜びだと感じています。
災害を通して再発見した能登の魅力
災害をきっかけに能登の魅力も再発見できました。 当たり前に思っていた豊かな自然、輪島塗、そして町ごとに受け継がれるキリコ祭り。こんなに世界に誇れるものが揃っている地域。この町には最高なコンテンツが溢れていると思います。ある人が「田舎が一番世界と近いよ」と言ってくれて、能登は世界で勝負できると気づかされました。

“企業の祭り”としてのキリコ──僕の描く夢
今僕が構想しているのが、あるゆる企業を集めて、キリコを担いでもらうことです。例えば、ライバル企業同士で、同じキリコを担いで、祭りで一緒に汗を流してもらうことです。
観光でもあるし、地域貢献でもあるし、社員研修にもなる。何より輪島の祭りの魅力を「体験」として味わってもらえると思うんです。地元と企業、人と人が繋がる場としてのキリコ。そんな場をつくりたいと本気で考えています。
輪島一の企業になるという目標
僕の今の目標は、輪島で一番大きな企業になることです。雇用を生み、町に貢献し、三辻商店を通じて輪島の未来を育てたい。
復旧・復興に関しては、解体工事は進んでいるものの、まだまだ道のりは長いです。インフラの整備や住宅の再建、朝市の復活、宿泊施設の整備など、5年、10年という単位の時間が必要になると思います。
一度でいい、輪島に来てください
この記事を読んでくださった皆さんに、お願いしたいことが一つだけあります。とにかく一度、能登・輪島に来てください。 僕らと話して、一緒にお酒でも飲みましょう! そして、1年に一回、キリコを担ぎに来てください。 連絡をくれたら、僕が最高のガイドをします。
災害があって大変だったけれど、今の僕にはネガティブな気持ちは一切ありません。むしろ、この経験があったからこそ、会社が大きくなれた。 そう胸を張って、自分の子供たちに伝えられるように、これからも走り続けようと思っています。

取材後記
取材初日、能登空港から輪島市へ車を走らせ、宿から三辻商店までは徒歩で向かいました。片道20分ほど、散歩がてらに町を歩いてみると、災害の影響か、道を行き交う人の姿はほとんど見られず、静かな町だという印象を抱きました。
のちに三辻さんから「あそこも以前はけっこう賑やかだったんですよ」と聞き、震災後に多くの方が金沢などに避難・移住していることを、わずかながらも肌で感じられました。
けれども何より印象に残ったのは、三辻さんの輪島への熱い想いです。お話を伺うなかで、その明るさと前向きさに触れ、この人なら本当に能登全体を盛り上げてくれる──そんな直感を覚えました。
震災当時の混乱、避難所での暮らし、復旧への道のり……本当に過酷な経験をされたことと思います。それでも話の端々からは、人への感謝や町への誇りがあふれていて、心を打たれました。
私自身も、いつか輪島に行って、キリコを担ぎたい。輪島を、能登を、自分なりの方法で応援したいと、心から思いました。
この記事を読んでくださった皆さんも、ぜひ輪島を訪れた際には、三辻さんに連絡を取ってみてください。きっと、最高のガイドと出会えるはずです。

