今回お話を聞いたのは、金沢大学の医療系学生たちが立ち上げたボランティア団体「石川・能登未来知図」の初代代表・橋本晃貴(はしもと・こうき)さん。医療の視点を持つ学生だからこそできる支援、過疎や地域課題の解決、未来を担う若者の人材育成にも目を向けた彼らの活動とビジョンをうかがいました。
医療の視点を、災害支援のチカラに
2024年元日に発生した令和6年能登半島地震。その未曾有の災害を受け、金沢大学の医療系学生たちが立ち上げたボランティア団体が「石川・能登未来知図」です。医療の視点を持つ学生だからこそできる支援、地域の人々に寄り添った活動を通じて、奥能登の未来を共に築いていくことを目指しています。

運営スタッフは5〜10名ほど、災害のフェーズや案件に応じてチームを組んで活動を続けてきました。発災直後は金沢からできる情報収集・発信とDMAT(災害派遣医療チーム)の後方支援、現地へ行けるようになった2月中旬頃からは輪島市・珠洲市への学生ボランティア派遣を行い、現在は週1回ペースのボランティア派遣と高校生との協働プロジェクトなど、多岐にわたる支援活動を展開しています。
金沢からでも、学生でも、できることを
2024年の元日、当時、金沢大学医学類の5年生だった僕は、金沢で能登半島地震を経験しました。恥ずかしながら大晦日から飲み明かし、夕方近くまで寝ていて、そろそろ初詣に行こうと考えていた矢先に1回目の地震が発生しました。最初はそこまで深刻だと思いませんでしたが、次の地震でただ事ではないと感じました。

指導教授で金沢大学附属病院の救急・災害医の岡島正樹先生から「どうなっている? 情報求む」という連絡がありました。岡島先生は関東に帰省していて、金沢へ戻る新幹線に乗ろうとしていたところ、能登で地震が発生し足止めされていました。先生はDMATの責任者として要請がかかり、金沢へ戻らなくてはいけないけれど、情報がなく現地の様子がわからないというのです。僕は情報を収集して教授へ次々とメッセージを送り続けました。
発災直後は金沢市内でもスーパー等が営業を取りやめ、ガソリンの給油制限や幹線道路で長い渋滞が発生するなどの混乱が生じていました。金沢大学そばの田上地区では家屋が地滑りで崩れ落ち、内灘の海辺地域では液状化現象で多くの家屋が被害を受けている様子が報道されました。しかし、能登地域の状況は定点カメラの映像が繰り返し写し出されるのみで、リアルな被害状況はなかなかつかめませんでした。
1月2日、少しずつくすぶっていた情報がクリアになるにつれて「これは何とかしなくては」と強く感じ、1月5日に友人たちに呼びかけて「今何ができるのか」を話し合いました。能登へ向かう道路は壊滅的で、自衛隊や緊急車両しか行けません。僕たちは金沢でできることを考えました。
僕たち学生有志は、情報収集と発信に取り組むことにしました。仲間のなかにIT会社を経営する学生起業家がいたので、簡易版の情報サイトがすぐに完成しました。情報サイトは被災・避難されている方、被災地を支援したい方の2つの選択肢を設け、それぞれが必要とする情報を集約したページへ誘導しました。
支援したい方には、ボランティアの募集を開始した自治体の情報を、被災・避難された方には自治体発表の情報をまとめて一覧化し、生活支援に関する情報、糖尿病患者や妊産婦に向けた医療・健康情報、心のケアや児童・生徒の教育支援などを掲載。開局している調剤薬局のリストをマップに反映したアプリも開発しました。

情報の収集・発信から始めたのは、発災直後から自分自身が情報不足をすごく感じていたから。混乱期にすぐ役に立たなくても、情報の軌跡を残しておくことで、いずれ被災された方にも見てもらえるだろう。そして、災害発生直後に学生がどのように被災地に関われるかを記録として残し、次に起こる災害に備えてモデル化しようという考えもありました。
1月7日頃から転院搬送が始まりました。患者さんが能登から金沢へ救急車で運ばれてきて、金沢大学附属病院には1日に50台の車列が到着しました。岡島教授から「救急車から電話がかかってくるが対応する人が足りない、病院へ来てくれないか?」と連絡があり病院へ飛んで行きました。
搬送の救急車は県外から応援に来てくれている人たちなので、大学病院の場所がわからず、大学のキャンパスに入ったりするんですよ。車列に一般車が割り込んで、事故が起きそうになることもありました。そういうのを抑止し、搬送の救急車を誘導するため、大学病院の入口の交差点に立って交通整理をしました。

他にも、DMAT宛の支援物資を受け取って届けたり、カンパを集めてDMATに栄養ドリンクを差し入れたり、フェムテックジャパンさんからの支援物資を大学病院へ寄贈するお手伝いもしました。
まだ医師免許がない僕たち学生にできることは限られています。しかし、救急車からの電話対応や車両誘導など、学生でもできることがあるとわかりました。普段は必要なくても、非常時には想定外の役目が必要になることなど、災害医療の一端を学びました。
被災した能登へ、学びと支援の道
1月中は石川県から奥能登への移動自粛要請があり、余震も続いていたことから能登へ行けずにいました。その間も病院実習で能登から避難されてきた患者さんと接し、能登への想いや惨状を聞き、ボランティアの必要性を痛感していました。
そんなとき、SNSを通じて駒澤大学(当時は津田塾大学)の柴田邦臣(しばた・くにおみ)教授とつながり、輪島市の被害状況や学生などの若い力がどれだけ求められているのかを知りました。2月12日、僕たちは柴田教授チームに同行する形で震災後初めて輪島を訪問。報道では見ていたものの、あまりにも変わり果てた町並みを目の前にして言葉を失いました。

惨状を見て自然の脅威を実感し、無力感さえ覚えましたが、避難所を運営する地元の方々の姿に勇気づけられました。金沢に戻ると仲間達と「能登を再び元気にするために、復旧・復興のお手伝いをするべきだ」と話し合い、急性期に立ち上げたWebサイトでの情報発信から、ボランティア派遣へと主たる活動を変え「石川・能登未来知図」としての活動が本格始動しました。

「石川・能登未来知図」は、シャンティ国際ボランティア会、TLAG(Think Locally Act Globally)、災害支援NPOありんこ、黒島復興応援隊など、実績と経験ある団体に安全指導を仰ぎながら、被災地でのボランティア活動を開始しました。
主な活動地域は輪島市・珠洲市で、倒壊したブロック塀の撤去、倒壊した墓石や祠の修復、家財道具の搬出、瓦拾い、黒島天領祭や雪割草まつりなどのお祭りの運営補助、子どもたちの遊び相手などを行ってきました。2025年6月21日現在で通算102回、のべ532名の大学生・高校生のボランティアを派遣。今後も継続していきたいと考えています。

初めての「医学展in能登」で医学生が得たこと、感じたこと
「医学展」は、金沢大学の医薬保健学域の学生達が主催する学園祭で、毎年多くの家族連れで賑わいます。模擬店やライブステージなどもありますが、何といっても医療体験が目玉。通常は金沢大学の宝町・鶴間キャンパスで開催されますが、「石川・能登未来知図」のメンバーはこの企画を能登でも開催したいと大学に提案しました。
ボランティア活動を重ねるうちに、子どもたちが集まり、楽しく遊べる場所やきっかけが欲しいという思いを聞き、能登で医学展を開催したいと大学へ提案しました。それまでの活動に対して全学では否定的な意見もありましたが、医学類の先生方は僕たちを応援してくれて、輪島市・珠洲市・七尾市の3会場での医学展の開催に漕ぎ着けました。

主催は金沢大学の医学展実行委員会でしたが、準備や調整は現地の方と信頼関係を築いた「石川・能登未来知図」が中心になって行い、9月15日に輪島市、9月29日に七尾市で「医学展in能登 2024」を開催。1952年から続く医学展の歴史のなかで初めての能登出張開催で、お医者さん体験や健康相談、医療機器の展示を能登の人々に楽しんでもらいました。被災地の方に笑顔になってほしいという一心で運営にあたりましたが、医学展をきっかけに学生たちも多くの学びを得ました。
医学展で初めて震災後の能登に足を運んだ医学生もたくさんいました。参加した学生からは「怖かったけど行ってよかった」「喜ぶ地元の人の笑顔が印象的だった」という声が聞かれ、災害医療や地域医療について考える機会となり、関心の裾野が大きく広がったようです。
9月22日にも珠洲市での医学展を予定していましたが、その前日に奥能登豪雨が発生。開催は見送りとなり、「石川・能登未来知図」は珠洲市と輪島市への学生ボランティアの緊急派遣を行い、被害を受けた家屋や商店の泥出し活動に切り替えました。このとき僕らがすぐに動けたのは、豪雨の前から組織を立ち上げて活動し、地域や支援団体の皆さんとのつながりができていたから。平時からの備え、継続的な活動の重要性を感じました。

11月には、能登と金沢、地域と大学、そして未来を担う子どもたちの夢と希望を「紡ぐ」をテーマに、大学キャンパスで2日間にわたり医学展を開催し、12月には改めて珠洲市で「医学展in珠洲」を出張開催しました。
能登に関わり続けるための拠点を求めて
震災直後の急性期に行った金沢からできる支援活動、2月からスタートした生活復興期の能登へのボランティア派遣。応急対応から復興・日常支援へとフェーズが移るなか、「石川・能登未来知図」で能登の各地に拠点を持ちたいと考えています。

被災した子どもたちには勉強する場所がない、遊ぶ場所もない。大人と違って声を上げることもできない。だから僕たち大学生が、自分たちの手で居場所をつくっていこうと思ったんです。空き家などを改装し、普段は中高生の自習スペースとして使ってもらい、大学生がオンラインで学習支援を行う。長期休暇などで大学生が能登へボランティアで行くときには、宿泊拠点としても利用できるようにしたい。
「U-25能登サミット」から高校生の声を未来へ
能登半島地震から1年半、復旧から復興へとフェーズが進むなか、「石川・能登未来知図」は5月31日から2週4日間にわたり「U-25能登サミット」を金沢で開催しました。
「未来の担い手であるアンダー25世代の声は、ちゃんと届いているだろうか?」という想いから企画した対話イベントで、石川県内の能登・金沢・加賀エリアから集まった高校生が、2024年の元日に起きた能登半島地震を見つめなおし、次にできることを語り合いました。

「U-25能登サミット」では、石川県知事の馳浩氏、金沢大学の救急・災害医学教授の岡島正樹先生をはじめ、行政・医療・経済・教育・地域支援など多様な分野から豪華ゲストを迎え、能登に関わる大人たちと若者たちが真正面から向き合いました。

高校生たちが話し合ったサミットの成果は、2025年6月28日に大阪・関西万博で開催されるイベントに「石川・能登未来知図」メンバーと高校生が登壇して発表します。万博での発表以降も、U25世代が抱える課題を共有し、解決に向けたプロジェクト化を進めていく予定です。

災害大国から防災大国へ、能登を防災・減災・復興のメッカに
2025年4月に代表を金沢大学医学類3年の豊島すみれさんへと引き継ぎました。代表の交代は、持続可能な支援活動にとって不可欠です。いずれ社団法人を立ち上げて、後輩たちの活動を裏方で支える構想も描いています。
僕は救急医を目指しています。今後は災害現場でDMATの一員として命を守る立場に立ちたいし、後輩たちが活動しやすいよう、資金を調達する仕組みも整えたい。学生や若者が“自分にもできることがある”と思える環境をつくっていきたい。

語弊があるといけないのですが、能登は災害対応の実験場だと考えています。2024年に大地震と豪雨水害という2度の大災害を経験した土地だからこそ、ここから学ぶべきことがある。全国の若者が集まり、挑戦できる仕組みをつくりたい。10年後、どこかで災害が起きたときに、能登で一緒に活動した仲間が各地にいて、すぐに連絡が取れて、動ける。そんなネットワークを作りたい。また、医師免許を持たない学生でも災害医療の現場でできることはたくさんあるので、学生DMATの全国組織もつくれたらと考えています。

「命を救い、希望を紡ぎ、未来を創る」というスローガンのとおり、僕たち「石川・能登未来知図」が描く知図(好奇心の記録)には、災害対応だけではなく、過疎や地域課題の解決といった広い視点も含まれています。未来に向けて、一人ひとりの“できること”を問い続けていきたい。
「石川・能登未来知図」の関わり代と求めている支援
学生ボランティア団体「石川・能登未来知図」では、以下のような形での協力を呼びかけています。
・災害支援ボランティアとしての参加(学生/一般問わず)
・運営メンバーとして企画や事務を担う仲間
・活動資金を支える寄付
・ボランティアの派遣先や連携可能な支援団体/企業
・能登の拠点スペース(空き家など)
・クラウドファンディングも計画中
ビジョンと行動力を備えているとはいえ、運営メンバーは大学生。能登へ行くガソリン代だけでもバカになりません。そして、いずれは卒業を迎える彼らが後輩たちにバトンをつなぎ、能登の復興支援だけではなく、いつでも動ける平時からの学生ボランティア団体を維持できるよう、資金面や人脈、地域とのつながりなどには大人のサポートが必要です。彼らの活動に興味・関心を持った皆さま、ぜひご協力をお願いします。
取材後記
橋本さんと「U-25能登サミット」を取材して、私自身も地震発生から1年半の出来事を振り返る機会になりました。橋本さんとは初めてお会いしましたが、活動内容や人との繋がりで重なる部分があり、ついインタビューの時間が長くなり、1時間程度で切り上げるつもりだった「U-25能登サミット」の取材もゲストトークや高校生・大学生との会話が面白く、2日間フル参加してしまいました。
2024年の元日、私は富山県氷見市(能登半島の一部)の実家に帰省していて人生初の震度5強を経験し、2日に金沢へ戻ってからも近所ではマンホールが隆起して水道は断水、崖崩れや地割れなどもあって、次々と能登の状況が報道されて「何とかせねば、何かしたい」と感じたことを思い出しました。私も有志を集いSNSで情報収集・発信を始め(実はそこに橋本さんも投稿してくれていた!)、交通規制の解除後は奥能登でボランティア活動にも参加していたので、彼らの活動経緯に大きく共感しました。
「石川・能登未来知図」のメンバーは金沢大学の医学系の学生が中心ですが、工学部や文系学部、他大学の学生も運営メンバーとして参加しています。ボランティア派遣に参加している学生は、それこそ多岐にわたり、高校生も参加しています。「石川・能登未来知図」の活動には医学・教育の視点が感じられ、大学生ならではの柔軟なアイデアとフットワークに感服すると共に、未来を支える人材を育成しようとする彼らを応援したいと思いました。

