能登へボランティアに来る人のために、受け入れや宿白などの環境整備をおこなっている東 哲也(ひがし・てつや)さんが運営する”復興支援団体 能登ネスト”をご紹介します。
震災直後から多くの人に向けた情報発信を開始
私、東哲也(ひがし・てつや)は、皆さんから“ピカリン”というニックネームで呼んでいただいています。地元穴水町で被災直後、周辺がまだ右往左往しているときから、いち早く各地の状況をSNSに投稿し、県内外へ状況を知ってもらうための情報発信を続けていました。

ボランティアや移住者の環境整備を早急に!
震災後、能登の復興ボランティアをしたいと多くの人が声をあげてくれました。道路が壊滅し、能登の現状が不透明な状態であったため、県は震災直後に「一般ボランティアの受入制限」を通達しました。
そのため能登で「助けて!」と声をあげている人への対応、ボランティアの受け入れなど、前へ進むための準備が遅れてしまいました。
その後、私が居住する穴水町にも、石川県が管理するボランティアが滞在するためのベースキャンプができました。キャンプ場の管理をする一人として、3月の受け入れ開始から閉所するまで携わりました。

ボランティアに来てくれた人たちの寝る場所はあるのか、復旧に向かうべき場所はどこかなど、2025年5月現在も不明確な部分が多く、ボランティアの人たちの環境整備が、まだ整っていません。必要とされている場所に駆けつけるためにも、早急に対応しなければいけないと思っています。
新たなベースキャンプをつくり、誰でも受け入れができる環境を
ありがたいことに、2025年5月の今現在もボランティアで能登を訪れる人は後を絶ちません。しかし、復旧復興のために来てくれる人たちの、宿泊場所が足りていません。
能登町で自然体験施設「ケロンの小さな村」を2009年から運営している、村長の上乗秀雄(じょうのり・ひでお)さんと出会いました。80歳を超えても、少年のように目をキラキラさせ現役で活動されている姿に感動して、この場所で一緒に楽しいことがしたい! と思うようになりました。

「ボランティアの人の宿泊施設が足りない。ここにベースキャンプ村をつくりたい!」と上乗さんへ話をすると、満面の笑みで承諾をしてくれ、2025年5月現在、一緒に準備を進め整備をしている最中です。
震災後に能登半島各地で「インスタントハウス」が活用されたのですが、その後不要になったものを流用し、「ケロンの小さな村」に宿泊スペースをつくりました。震災から1年以上たった今現在も、インスタントハウスは多数使われていますが、ドアや窓がついているものはここにしかありません。上乗さんのお手製です。ボランティアが滞在するのに必要なものは、すべてそろっているため快適に過ごすことができます。

「ケロンの小さな村」では、持参した自分のテントを張ることも可能です。自然に囲まれたこの場所で、ボランティアや復旧復興に来てくれた人が快適に過ごせるように、炊事場づくりなどの環境整備をおこなっています。
能登の人とボランティアの人をマッチングする仕組みづくり
ボランティアで来てくれている人たちのなかには、専門的知識を有する人などもいます。今は、そういった人たちから直接アドバイスを聞ける機会でもあります。
力仕事や細かい作業など、自分たちではできずに困っている被災者が多数います。能登では「今まで通りどうにか自分たちでおこなえばいい」と考える人たちばかりなため、「手伝って!」「助けて!」と声をあげる人は少数です。時間さえかければ復旧復興は可能かもしれませんが、ボランティアの人たちと共に実施することで、早く解決できます。
たとえば、農家が農地を広げ、加工も販売もすべて自分たちで同時にすることは不可能です。しかし、ボランティアの人たちと一緒におこなうことで、不可能を可能にすることができます。
能登で厳しい状況にいる人には、自分たちの状況を声にだしてほしいのですが、現状をわかるように伝えてくれる人がいません。困っていることをしっかりと伝え、シェアできる環境整備が構築できず困っています。
能登で困っている人の現状を多くの人に伝える仕組みづくりや、情報共有ができる環境整備を、一緒に行ってくれる人はいませんか?
地元の人とボランティアを繋げることで、効率的に復興復旧を行うことができます!
震災の時に、なぜすぐ動くことができたのか
穴水町のベースキャンプが閉鎖した後も、能登半島のさまざまな場所で、求めている人へ必要なものを届ける活動をしています。私は「復興支援団体 能登ネスト」を立ち上げ、能登の人とボランティアの人たちをつなぎ、ボランティアをしやすい環境を整え“ボランティアの人のためのボランティア”をおこなっています。
ベースキャンプには、個人や友人同士で来る人、サークルや団体、企業単位でくる場合もあります。数多くの出会いがあり、夜な夜な語り合いました。
ベースキャンプでの出会いをキッカケに、全国各地から講演を依頼されるようになりました。震災直後、多くの人から支えてもらった恩返しとして、可能な限り依頼地へ行き、震災時に体感したことを話しています。

愛知県岡崎市の小学校からはじまった
全国各地でマーケティング論について講演をするピカリン
「助けを必要としている人が、何を求め考えているのか。」この考え方は、たった一人のために考え行動をする“マーケティング論”だと思います。震災時に、マーケティング論を理解していると行動や対応が違います!
講演会では、対象者が理解しやすいようにマーケティング論の話もして、もしもなにかあったさいに役立ててほしい! と伝えています。
取材後記
能登半島に滞在している間、誰に取材をしているのか、何度も聞かれました。「ピカリン面白い人だったでしょ~!」「あんなにも能登のために動いてくれる人はいない」と、東さんがいかに愛されているかを各所で聞きました。
しかし東さんの取材中、和やかな空気が一瞬ピリッとした雰囲気になったエピソードがあります。
ボランティアの人たちによる炊き出しが始まったころ、久しぶりの温かい食事を多くの人が喜び、その場に集まったそうです。食事を無言で受け取る人をみて「出ていけ!」と怒鳴ったそうです。
「ありがとう」が言えない町は復興する意味が無い。能登の人のことだけではなく、ボランティアの人たちのことも常に考え行動されている様子が、とても伝わってきました。

ぶっちゃけた話も含め、実際に起きたさまざまな話を聞かせてくれました。面白くて温かいピカリンさんのことが、大好きです! また、お会いできる日をとても楽しみにしています!

