今回は輪島市を拠点に、被災した職人たちと共に輪島塗を守り続け、国内外に向けてその魅力を伝え続ける「輪島キリモト」七代目・桐本泰一(きりもと・たいいち)さんに話を聞きました。
地震と水害を経て挑み続けてきました
江戸時代後期より漆器業や木地業を営む輪島キリモト。七代目の桐本泰一(きりもと・たいいち)は筑波大学を卒業しオフィスプランニングに携わったのち、輪島に帰郷。以来、力ある職人たちと一緒に、木工製品や漆の器、小物、家具、建築内装材など、漆を人々の生活の一部にするべく事業を展開。東京日本橋の三越に売り場を構えたり、海外へ輪島塗のPRをしたりとさまざまな事業を展開してきました。


さらに輪島塗の魅力を多くの人に伝えようと事業を展開していた矢先、コロナ禍による輪島への観光客の減少等で売上は低迷、そして2024年1月の能登半島地震。自宅は全壊し、輪島市内の本町通り商店街にあった家屋は地震による火災で全焼しました。
その後、元々は店舗だった「漆のスタジオ・本店」や、みなし仮設住宅に住まいを移し、世界的な建築家の坂茂さんから提案された紙管・ボード・断熱材でできた仮設工房を設置。同年3月から仮設店舗兼打ち合わせ室として使用し始めました。しかし、出鼻をくじくかのように、同年9月に豪雨が能登半島を襲いました。工房の3分の2と仮設工房、みなし仮設住宅が水に浸かりました。
さすがに心が折れました。しかし仲間と共に工房を復活させ、なんとか前を向いて歩み始めました。

輪島塗の職人が不足。輪島塗の楽しさ、面白さをPRし人材を確保したい。
今後に向け、まずは事業の足下を固めなければなりません。しかし地震と水害が引き金となり5人いた職人のうち2人が退職しました。輪島塗の仕事に携わりたい人をどう確保していくかが課題です。輪島塗の楽しさや面白さ、そして価値を、関心のある方々に伝え、輪島での生きがいを見いだして働き手となっていただきたいと考えています。
しかし人材を確保したくても、今の輪島には住む家がありません。住居の問題をなんとか解決し、輪島塗が希望ある仕事であり都市部の人々の心を癒す存在であることをPRし、働き手を呼び込みたいです。

輪島塗のPRや販促のイベントに、2024年は21回、2025年も5月時点で11回参加しました。輪島塗は伝統的な屠蘇器や重箱、飾り棚や屏風、和室の家具や建材、茶道具や文具、そして輪島キリモトのように日常使いの食器など幅広いです。能登半島地震が多くの方の心に刻まれているうちに、輪島塗の奥深さを伝えたいです。また、広報活動は営業活動につながるので、人を確保しつつ仕事も呼び込みたいと思います。

被災した人々から譲り受けた輪島塗を再生する「輪島塗 Rescue & Reborn プロジェクト」
私は筑波大学で教授から教えられた言葉を今も大切にしています。「デザインという学問とは、今を暮らす人々が何をすれば気持ちよくなるのか、何をすればホッとするのか? 何をすれば便利なものになるのか? を考えること」と教えられました。叩きのめされた状況下で、この言葉を胸に何を作り出すべきか全神経を集中させ考えたいと思います。
そんななか、始まったプロジェクトがあります。「輪島塗 Rescue & Reborn プロジェクト」です。

能登町・能登地震地域復興サポートの方から「災害ごみとして捨てられそうになっていた輪島塗の御膳を多くの方にお譲りいただいた。御膳3,000人前以上があるけれど、傷んだ物を今後どうしよう?」という相談が入りました。
能登地方では輪島塗の御膳を各家が持っています。そこで私は再び今の暮らしで再生させることを考えました。傷んだ箇所を修復し、研いで朱合漆(しゅあいうるし)を施すと、まるで赤ワイン色のような深い色合いの透き溜(すきだめ)が生まれます。現代の家庭にフィットする色合いです。救出した輪島塗を“Reborn”して、再び家庭に届けたいと考えています。
このプロジェクトの開始直後の9月に水害に遭いましたが、再び10月から再始動しました。この再生した輪島塗を「透き溜シリーズ」という新ブランドとし、販売を開始しました。輪島塗の再生には何人もの職人の力が必要で、職人に仕事をお願いし続けられる仕組みも整えました。

また、地震で倒壊した木地屋から救出された製作途中の木地も、和紙を貼ったり、パール漆をつけたりして新たな輪島キリモトのブランドとして再生し、販売しています。
大学で学んだ教えをもとに、何を作れば今の暮らしで、ほっとする気持ちいいものができるのかを、救出された漆を“Reborn”することで生み出していきます。

“輪島キリモト”について
江戸時代後期から明治・大正にかけては輪島漆器製造販売を営み、昭和の初めに木を刳る(くる)ことを得意とする「朴木地屋・桐本木工所」に転業。六代目・俊兵衛は、特殊漆器木地をはじめ、家具全般をも手掛ける設備を整えました。七代目・泰一は、筑波大学でプロダクトデザインを専攻、企業でオフィスプランニングに携わったのち、輪島に帰郷。朴木地業の弟子修行を経て、漆器造形デザイン提案、器や家具、建築内装などの創作を始めました。
2012(平成27)年に商号を「輪島キリモト」とし、木地業を生業にしながら、多くの力ある職人さんたちと一緒に、木工製品や漆の器、小物、家具、建築内装材に至るまで、木と漆が今の暮らしにとけ込むようなモノ作りに挑戦し続けています。桐本泰一は第2回「三井ゴールデン匠賞」グランプリを受賞しました。
取材後記
取材中、「辛いげんよ。でも前を向かなければならない」そうご自身を鼓舞するかのようにおっしゃった一言が印象的でした。辛くて苦しい経験の末に絞り出されたような一言。18年前の能登地震、コロナ禍、2024年の能登半島地震と豪雨。何度もご自身を励ましながら立ち上がってこられた様をお見かけしてきました。輪島塗を後世に伝え発展させるためにすべての「不屈の魂」を込めて桐本さんはお仕事をされています。その魂が多くの方の心を動かし輪島塗のファンが増えるように引き続き応援していきたいと思います。

