受賞歴も多く、全国にファンを持つ輪島の酒蔵「白藤(はくとう)酒造店」。副杜氏として酒造りを続ける若女将・白藤暁子さんに、酒造り再開に伴う試行錯誤と今後の目標について話を聞ききました。
守り続けてきた伝統の酒造り
石川県輪島市にある白藤酒造店は、NHKの朝ドラマ「まれ」の撮影地としても知られる「いろは橋」に近く、輪島朝市通りからも徒歩圏内にあります。

18世紀初頭に廻船問屋として創業し、江戸末期から酒造業を開始。現在は東京農業大学で共に酒造りを学んだ九代目・白藤喜一(はくとう・きいち)と暁子(あきこ)が、地元の酒米と水を使い、伝統を守りながらも新しい挑戦を続けています。

代表銘柄「奥能登の白菊」は、メロンやリンゴを思わせる爽やかな吟醸香と優しい甘味が特徴の純米吟醸酒です。上品な甘みは「和三盆のよう」と評されることもあります。
令和6年能登半島地震発生直後の酒蔵の状態
2024年1月1日、家でくつろいでいた最中に震度7の揺れが酒蔵を襲いました。家族は無事でしたが、2007年の能登半島地震後に再建した建屋以外は壊滅的な被害を受けました。
倒壊した納屋の下敷きとなった機器や道具、大切に発酵中だった「もろみ」は激しい揺れで蔵中に飛び散り、タンクも破損。床一面にもろみが流れ出しました。大釜も基礎部分が破損し、使用不能に。瓶詰め酒を保管していた冷蔵庫も扉が開き、中の酒は雪崩のように崩れ落ちました。
地震発生4日目以降、大学の先輩や県内外の酒蔵関係者が駆けつけてくださり、余震が続くなか、タンクに残っていたもろみを救出。他の施設へ運んで搾り、震災前に仕込んだ酒の一部を出荷することができました。
クラウドファンディング「能登の酒を止めるな」も実施され、支援してくださった酒蔵で奥能登の銘柄やコラボ酒を仕込み、寄付してくださった方へ返礼品としてお届けする活動が行われました。白藤酒造店が参加した第1弾では、2,090人から4,100万円のご寄付をいただきました。
※「能登の酒を止めるな」第4弾(https://www.makuake.com/project/noto_sake4/)は、松波酒造、日吉酒造店、鶴野酒造店の3蔵が参加し、6月10日まで寄付を受け付けています。第5弾も開催が予定されています。
酒造り再開に至るまで
店舗や事務所、住居部分は全壊しましたが、2007年の震災後に再建した蔵は無事。煙突も倒れませんでした。
お世話になった方々に恩返しをしたいと、2024年9月から蔵の修繕に着手。そんな折に豪雨が輪島を襲い、身を寄せていた仮設住宅が浸水。別の場所へ避難せざるを得ませんでした。

片付けと並行しながら修繕を継続しました。和釜の炉の再建時には、全国に2台しかない小型杭打ち機を用意。「もう一度ここで蒸米の香りを嗅ぎたい」と修繕を続けました。
そして2024年12月末、炉が完成し、仕込み蔵の修繕・補強も開始。水源も確保。例年3月中旬に行う「甑(こしき)倒し」(仕込み終盤の作業)と同時期の2025年3月、ついに洗米を開始。酒造りを再始動させました。


再開後第1号の酒を無事に出荷すること。今はそれが目標です。
地震前は蔵人が5人いましたが、家庭の事情で離れた人もおり、現在は2人に。設備も完全ではなく、最低限のタンクで仕込みを行っています。復旧作業と酒造りを両立させる必要があり、2025年の仕込み量は震災前の半分以下となりました。しかし、「設備など完璧じゃなくても、自分の蔵で酒を造ることを考えよ」と助言をくださった方がいました。その言葉を胸に丁寧な酒造りを続けています。

2007年の能登半島地震、コロナ禍、そして今回の地震と豪雨被害とさまざまなことを乗り越えてきました。過疎化は地震以降一層進んでおり、人手不足や事業の再建など課題は山積みですが、白藤酒造店の酒を心待ちにしてくださる方々のために、今日も酒造りに励んでいます。
“白藤酒造店”について
18世紀初頭に廻船問屋として創業。江戸末期より酒造業に着手。八代目からは蔵元自らが杜氏を務め、現在は九代目・白藤喜一と暁子が蔵人と共に酒造りに励んでいます。
「飲めばホッとする優しい味わい」が特徴。純米大吟醸から本醸造まで、高品質な酒を手がけています。
取材後記
私が日本酒を好きになったのは、2012年に白藤酒造店の酒に出会ってから。酒米のうまみが最大限に引き出されており、飲めば自然と笑顔がこぼれます。杜氏の喜一さんと暁子さんは能登杜氏から学び、「白藤の味」を妥協なく守り続けています。
仮設住宅と蔵を行き来しながらの酒造りは、並大抵のことではありません。ただ、全国に待っているファンがいます。出荷の日まで、無事に「再始動のゴールテープ」を切っていただきたいと思います。

