今回は、能登町の宇出津港近くで魚屋を営む、丸福商店(合同会社松寿)のマネージャー・安宅 操(あたか・みさお)さんにお話を伺いました。
能登の魚をより多くの方々に届けたい
丸福商店は、震災発生の1年前に開店した、能登町宇出津(うしつ)港近くにある魚屋です。

(2025年4月撮影)
震災を機に感じたのが、能登の魚は「いつでも当たり前のように食べられる食材ではない」ということです。漁師は、海の地形が変わってしまい大変な思いをし、私・安宅 操(あたか・みさお)も、魚を調理できない日々が2~3か月続きました。この経験を経て、自身の魚を扱う技術を活かして、能登の魚の良さをもっとPRしていきたいと思うようになりました。
そのように思っているなかで、魚を取り扱う県内外の飲食店からの問い合わせが増えました。復興支援目的であれば、単発注文で終わるはずですが、リピーターになってくださる飲食店もたくさんいらっしゃいます。そのような飲食店では、「能登の魚を使用しています!」という情報を積極的に発信してくださいます。
今までは、自分たちから、能登の魚の良さをPRしていくというアプローチが中心でしたが、これからは、外(自分たち以外の飲食店など)の力も借りながら、能登の魚の良さをPRしていきたいと思っています。そうすることで、より多くの方々に能登の魚を知ってもらい、お届けできるようになると思います。
それから、能登町は、奥能登の玄関口として、輪島や珠洲を支える存在になれるのではないかと考えています。能登町は、甚大な被害を受けた輪島や珠洲に比べれば、震災の被害はいくぶん少なく済んだため、この町が良くなれば、輪島や珠洲の復興を支える存在になれると思います。
魚屋として何ができるかと考え、同じく震災からの復興を図っている福島県のイベントなどを参考に、店舗の目の前にある宇出津新港釣り公園の広場で「魚市」を開催し、観光客などを誘致して、能登の魚のPRを行うことを企画したこともありましたが、実現には至っていません。
能登は海だけでなく、山もあって農業も盛んなので、魚屋を絡めることに拘らなくてもよいのでしょうが、自分に何ができるかは、もう少し検討が必要です。
能登の魚を多くの方々に知ってもらうためには
1. SNSで能登の魚をPR
丸福商店は、店舗で商品を陳列した販売は行っていません。さばき終えた刺身などを朝から夕方まで店頭に陳列するというのは、魚の鮮度が低下するだけでなく、来店客も何も買わずに退店しにくいというデメリットがあるためです。
基本的には、お客様からの注文に基づき、魚をさばいて提供するという販売スタイルを取っています。プロモーションは、口コミとSNSの活用です。SNSでは、毎朝地元・宇出津港で水揚げされた魚の動画をアップしていて、県内外のお客様からたくさんの問い合わせをいただいています。
SNSを活用したプロモーションを始めた当初、能登町ではネットを使った宣伝や告知は一般的ではなく、「これで商売が成り立つのか?」と周囲からはよく言われていました。
しかし、実際には大成功で、開店から1年間は、注文の対応に追われてとても大変でした。県漁連(石川県漁業協同組合)でも、最近ではSNSを積極的に活用した情報発信を行っています。

(出典:丸福商店 Instagram)
2. 地元の魚屋さんとは共存共栄
地元の魚屋さんのことをライバルとは思わず、私の魚を扱う技術も積極的に教えています。この地域には、5~6軒の魚屋があります。皆、それぞれ独自のやり方で営業しており、地元客をターゲットとするお店や、インターネット販売を中心とするお店などがあると認識しています。
お互いにつぶし合うのではなく、共存共栄していければ、能登の魚屋のレベルが上がって、知名度も上がりますし、お互いに能登の魚を融通しあうこともできます。
丸福商店が抱える直近の課題
1. 後継者を探したい
丸福商店は、オーナーから任されて私が経営をしています。私はスーパーマーケットの店員時代を含めて25年間、魚を扱ってきて、独自に技術も身につけてきました。しかしながら、私もいつまでも元気でいられるわけではありませんし、より多くの方々に能登の魚を届けるためにも、1人でやり続けるのには限界があります。
魚が好きで、魚の勉強をしたいという気持ちがある人、我慢強くて、気が長く、魚を突き詰めてくれるような人を探しています。
しかしながら私自身は、若い人に私の技術を引き継いでほしいという思いはあるものの、ついてきてくれる人がいるものなのか、ここのところ悩んでいます。
まずは、少しでも興味を持ってくださる方がいたら嬉しいです。
2. 日常の仕事を手伝ってくださる方を探したい(今すぐ!)
2024年1月1日の震災から1年以上が経過し、再び注文も増え始めています。嬉しい反面、私の負担も再び増加しています。日常の仕事を手伝ってくださる方を探しています。
復興に向けて能登の魚屋としてこれからも
私は、20歳くらいからスーパーマーケットの鮮魚コーナーで働いていました。初めのうちは魚のことはまったく分からず、あるお客様からもの凄く怒られたことを今でも鮮明に覚えています。
ただ、それをきっかけに、自己流で刺身の切り方を学び、創作刺身の領域を極めました。例えば、能登の甘い醤油に合うように自分の舌で何度も確かめながら、魚を切る角度や薄さを調整しました。

スーパーマーケットを退職して暫くしたのち、今のオーナーに声をかけられ、かつてのお客様にも背中を押される形で、2023年に丸福商店をオープンしました。
SNSと口コミにより、開店から1年間は本当に忙しかったです。1年目の途中からは、魚に加えてお惣菜の提供も始めました。2年目はどうしようかなと思っていた矢先に、震災が起こり、約3か月間の休業を余儀なくされました。
休業中は、炊き出しや、避難所のお弁当の仕事をやりながら、魚が触れるようになる日を焦らずじっと待ち続けていました。最近は、魚屋として再びお客様からの注文を受け付けています。
これからも、復興に向けて、能登の魚屋としてできることを考え続けます。
取材後記
魚とバスケをこよなく愛する、安宅さん。魚をさばくことを“手術”と表現したり、近隣の魚屋さん同士で魚の融通をすることを“冷蔵庫”と表現したり、個性的な表現に最初は驚きました。
しかし、お話を伺うにつれて、能登の魚への深い愛情を感じました。白黒はっきりしたいと断言されるその人柄は、能登の魚屋としての道を極める原動力になっていると思います。
「輪島や珠洲の復興を支えるために、具体的に何ができるか?」と安宅さんはおっしゃっていましたが、安宅さんの現在の取り組み(能登の魚屋としての道を極め、能登の魚の良さを多くの人に知ってもらって、届ける活動)そのものが、何か特別なイベントを開催するよりも、ずっと能登の復興に向けた効果的な取り組みだと、私は思います。
安宅さんをこれ以上忙しくしてしまうのは申し訳ないけれども、安宅さんが“手術”したお魚を食べてみたいです。私も白黒はっきりしたい性格なので、きっと良いリピーターになります!

(2025年4月撮影)

