今回は、石川県七尾市にある和倉温泉“多田屋”(ただや)の代表取締役社長多田健太郎(ただ・けんたろう)さんにお話を伺いました。
“多田屋”の社長として。「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」の代表として
和倉温泉“多田屋”(ただや)の代表取締役社長、多田健太郎(ただ・けんたろう)です。
2024年1月1日の能登半島地震から1年以上が過ぎましたが、自分としては日々のタスクをこなすのに精いっぱいで、キャパオーバーになっています(笑)
というのも、多田屋の社長として、旅館業としての復興を考えるだけではなく、和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会の代表として、まちの復興についても考えなければならないからです。
地震発生の日と、それから
能登半島地震があった2024年1月1日、まずは当日多田屋にご宿泊いただいていたお客様の安全と、多田屋のスタッフの安全とを守るのに精いっぱいでした。それからは、目の前にある「どうする?」を必死にこなすという日々を繰り返しました。
その後、地震による建物の被害の大きさを考えた結果、残念ながら一般のお客様を受け入れられる状況ではないと判断し、いまも営業ができていません。和倉温泉のなかには、地震による被害が比較的軽く、既に営業を再開している旅館がいくつかあるんです。徐々に復興が進んでいく同業他社の様子を目にして、ただただ焦っています。
復興に向かう活動は、単純に早く進めば良いというものではありませんし、もちろん「なにも進んでいない」ということでもありません。しかし、客観的に見れば「復興が遅い」という印象を与えているだろうと思いますので、そのことも気になってしまいます。

和倉温泉創造的復興プラン
それでも私は、多田屋の復興に全力を注ぐだけではなく、和倉温泉というまちを存続させるための計画策定も行うことで、和倉温泉の未来を、ひいては能登全体の未来を創り上げていくことが大切だと思っています。
私たち和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会は、2025年3月18日に「和倉温泉創造的復興プラン」を発表しました。
『能登の里山里海を“めぐるちから”に。和倉温泉』をコンセプトに、自然の循環がもたらす恩恵と、人の交流による力、また、和倉温泉の生業などを共鳴させて、地域の再生を目指すプランです。
景観・生業・共有・連携・生活・安全の6つの基本方針で、「次世代和倉温泉の収益力向上」や「おもてなし都市デザイン」など、さまざまなプロジェクトを策定し、温泉や地域の文化を大切にしながら、和倉温泉ならではのおもてなしを再定義しました。
古き良きものは残しつつ新たに生まれ変わろうと、旅館や商店を経営する若手が一丸となって、その全員がまちづくりの主役として、このプロジェクトに取り組んでいます。
「旅館|まち|人」ではなくて、「旅館とまちと人」。それぞれが独立しているのではなく、ひとくくりなんです。このままでは、まちの存続ができない。では、なぜ存続できないのか? ということを、みんなで自分事として捉えていけるようにしていきたいと考えています。
子どもたちの成長が、能登の成長
能登に生まれた子どもたちは、おとなになると能登から出ていってしまうことが多いのです。もちろん、それぞれの子どもたちの夢や未来を追いかけてもらいたいので、止めるわけにはいきません。でも、子どもたちが能登の外に求めている夢や未来を、能登でも見られるようにしてあげれば、どうでしょうか? もしかしたら、能登に残る選択をしてくれる子どもたちが増えるかもしれません。そのため、私たちは、子どもたちにまちづくりを知ってもらう活動をしています。
例えば、2025年7月開催の「VIVITA ROBOCON 2025 in 金沢」への出場を目指し、被災した能登の子どもたちが小惑星探査を課題にしたロボット製作に挑んでいます。挑戦するという経験が、能登の子どもたちの未来に繋がるのではないかと期待しています。
子どもたちの成長こそが、能登の成長です。能登のこれからを担ってくれる新しい芽を、能登が摘んでしまわないように、教育の機会を設ける活動も継続していきます。
未来を描き、創るために
能登半島地震から1年と少し経ったいま、気が付けばあのころよりも一段と忙しい状況になっているように思います。多田屋の復興と、和倉温泉のまちづくりと、地域との連携と、子どもたちへの教育と……やることが沢山あり、本当に大変です。
しかし私は「能登半島地震が起きたせいで大変になってしまった」とは思っていません。今回の震災で、和倉温泉や能登がずっと抱えていた課題が浮き彫りになり、そしてその課題に取り組んでいくきっかけになったと思っています。
能登には「限界集落」と呼ばれる地域がいくつもあります。和倉温泉が観光客で賑わう反面、能登全体に目を向けてみると持続可能な地域が少なくありませんでした。頭でわかってはいましたが、なかなか前に進めなかったことも事実です。能登半島地震という痛ましい災害をひとつの契機と捉え、多田屋の復興を行うのと同時に、和倉温泉というまちの復興も進めて参ります。
復興を、1つずつ、着実に
がむしゃらに活動してしまいがちだった1年目は、なんとか乗り切ることができました。身体にガタが来るのは2年目だから「気を付けよう!」と仲間内で声を掛け合っています。
復興に携わっていると、それぞれの事業者や団体のリーダーに仕事が集中してしまいます。現に私はいま、とんでもないマルチタスク状態になってしまっています。私自身の健康状況のケアもしながら、倒れてしまわないように、1つずつ進めていきたいと思っています。
新しい祭をつくりたい
今、和倉温泉で新しいお祭りをつくりたいと思っているんです。自然や地域から得られる資源に対して感謝を伝えるお祭りや、防災訓練を兼ねたお祭りなど、能登を大きく1つに束ねて、それぞれの地域が持ち回りでやっていけるようなお祭りが、新たに生まれても面白いのではないかと思っています。
能登は、もともとお祭り大国なんです。春祭りから秋祭りまで、ラッシュアワーのように各地にお祭りがありますから、またそこに新しいお祭りを作るのはなかなか難しく、頭を抱えています(笑) 難しいからこそ、しっかりと土台を組み立てないといけません。
そこで、お祭りプロジェクトを実現するために協力してくださる歴史学者さんを探しています。また、この計画をうまくデザインしてくれる人や、プロジェクトリーダー役を担ってくれる人も大募集中です。
能登には、能登のすべてに共通した歴史があると思っています。だからこそ、お祭りとして盛り上げて、それをきっかけに地域の連携を深めて、さらに未来につなげていくことができれば、それが能登の成長につながるのではないかと考えています。
プロジェクトマネージャーを募集中
私自身の現在の状況としては、ほかの人に代わってもらうことが難しい、私がこなすべきタスクが多すぎて、とにかく困っています。それぞれのプロジェクトをしっかりとマネジメントしてくださる方にお手伝いをいただけると、非常に非常に非常に嬉しいです。
旅館の復旧はもちろん、まちの復興、子どもたちの教育、新しいお祭り……。考えていることが多すぎて、僕のなかで管理しきれなくなることが怖いので、そこを助けてくれる方が来てくださるとありがたいと思っています。新しい能登、新しい和倉温泉を一緒に創り上げてくださる方! いつでもご連絡お待ちしております。
2027年の多田屋営業再開を目指して
多田屋の建物は、地震によって大きな損傷を受けましたが、すべて崩れてしまったわけではありません。応急処置をすればすぐに営業は開始できたと思います。でも私は、それをしませんでした。

残せるところ、そして解体するべきところを慎重に調査して、今後の安全面を担保しつつ、皆さまに新しい多田屋へお越しいただけるように準備を進めております。

多くの方から、再開を待っているというお声を頂いています。お客様をしっかりとお迎えできる環境をつくるべく尽力しておりますので、今しばらくお待ちいただけましたら幸いです。
能登に思いを馳せて
能登半島地震によって失ったものは数知れませんが、地震をきっかけに多くの物事が変わっていくなかで、新たな結びつきや、戦友と呼べる存在を実感したのも確かです。地震をきっかけに灯った新たな光を消さないように、大きくしていきたいと思っています。
能登の魅力は、目に見えないものにも含まれていると思っています。人が想いを馳せるところに魅力があると考えているので、みなさんもいろんなところで「妄想」してください! そして、能登を楽しんでください!
取材後記
何度も旅行に訪れた、和倉温泉。ぼんやりと眺めた海景色は、あの時と変わらず穏やかに感じられます。

しかし、被害は絶大でした。ひび割れ、もり上がった歩道。壁が剥がれた建物。観光客で賑わっていたあのころとは、まったく違った表情を見せる和倉温泉がありました。でも、不思議と暗さは感じません。それはきっと、多田さんのように、前を向いて懸命に復興への道筋を立てている方がいらっしゃるから。
この日は、特別に多田屋さんの一室に宿泊させていただきました。大きな窓から見える能登の海。そうそう、この景色が好きだったんだ──。
疲れを癒しに、何も知らずに遊びに来ていた和倉温泉。能登が限界集落だっただなんて、この震災がなければ、ずっと知らずに過ごしていたと思います。
多田さんの言う、「震災のせいで、ではなく、震災があったからこそ」という言葉が胸に響いたのは、私もこの震災をきっかけに「知らなかったことを知ることができたから」だと思っています。
被害のあった個所を案内してくださる多田さんは、お手洗いのお声掛けや、足元へのお気遣いも細やかで、「おもてなしのプロ」を常に感じる時間でした。
また来たいな。新しく変わっていく姿も、生まれ変わった姿も、この目で見届けるために。


